相馬野馬追

相馬野馬追

相馬野馬追は、相馬中村神社・相馬太田神社・相馬小高神社3つの神社の祭礼として、雲雀ヶ原祭場地を中心に旧中村藩領各地で開催され、お繰り出し、御行列・甲冑競馬・神旗争奪戦・野馬懸などを行います。

その起源は、伝えによれば今をさかのぼること一千有余年の昔、相馬氏の遠祖とされる平将門が下総国小金ヶ原(現在の千葉県流山市付近)に野生の馬を放して、野馬を敵兵に見立て追う軍事練習として、さらに毎年捕らえた野馬を、神前に神馬として奉納した(神事)として始まった、と言われています。

その後、相馬氏は、鎌倉時代より幕末までお国替えのなかった希少な名族として、元亨3年(1323年)頃、奥州行方(なめがた)郡(現在の南相馬市)に移り住んでからも、代々の相馬領主が明治維新までこの行事を連綿と続け、現在でも総大将は相馬氏の子孫が受け継いでいます。

昭和53年5月22日  【国の重要無形民俗文化財】として指定されました。

開催日: 毎年7月の最終土・日・月に開催となります。

お問合せ:小高区野馬追執行委員会事務局(0244-44-6014)

歴代相馬藩侯墓前祭

相馬家菩提寺である同慶寺において、相馬野馬追に出陣する騎馬武者が、武運長久と武勲を祈願します。

火の祭

昔、お神輿や騎馬行列が雲雀ヶ原祭場地より帰るころ、住民が沿道に提灯(ちょうちん)や松明をかざして慰労の意を表したのが始まりです。

このことをヒントに1892年(明治25年)、祭りの気分を一層もり上げるために、「火の祭」が考案されました。

当時は小高神社から見渡せる丘陵や田のあぜ道に、灯油を入れたホッキ貝を棒にぶら下げて並べ、さらに行列が小高神社に到着するのを合図に、数百発の爆竹や花火を打ち上げました。

火の祭は、このとき以来100年余り続き、花火打上場所周辺の田んぼのあぜ道や前川の土手に、点々と並べられたかがり火(火の玉)を灯すと、幻想的な風景が浮かび上がり、この後、一面に灯ったかがり火の中から、花火を打ち上げています 。

野馬懸

相馬小高神社境内で行われる野馬懸は、多くの馬の中から神の思召しにかなう馬を捕らえて神に献ずる神事であり、他はまるで変わってしまった中で、この野馬懸だけが野馬追本来の祭の本質を残しています。

昔、野馬追当日、原町区萱浜の巣掛場木戸から追い出された野馬の群れを追い、小沢の野馬道を通り、旧小高城跡に設けられた竹矢来に追い込んだ、という故事に基づき、現代の行事は野馬の追込みから始まっています。

午前9時過ぎに祝詞奉上があり、今日の祭りに仕える御小人達十数人が御祓を受けます。白鉢巻、白装束の服装の御小人が、竹矢来に入ってきた数頭の馬の中から屈強な馬を見定め、竹竿に藁束をつけた「駒とり竿」を御神水に浸し、それを馬の背に打ちかけ、御小人総がかりで素手で捕えます。荒れ狂う捍馬を捕えることは危険を伴うものですが、瀕死の怪我を負った御小人がでた時には、すかさず御神水をかけると、たちどころに蘇生するといわれています。

第一番に捕えた馬は、地域の平安の祈りを込めて神馬として神前に捧げ、他の馬は「駒ぜり」によってせり落とされ、観衆からの拍手喝采を浴びます。

この野馬懸をもって、『野馬追』のすべての行事が終わります。




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